秋猫日記

人生観や音楽関連の文章が主な不定期日記

6÷2(1+2)=?(解答編)

 

 ここ最近、中高時代の同期と長通話することが度々あった。567効果で結構盛り上がってしまったけれど、冷静に考えて週18時間通話は並のカップルでもしないよなあ。自重。

 

 それに並列して、というか先行して。生活リズムが狂ったまま戻らなくなっている。昼前就寝-夕方起床、朝昼食わず、夕飯も余りに活動していないためそんなに食えないという逆理想形。髪がかなり伸びてきたので床屋行こうと思っているが、日中寝てるせいで予約すらできない。こんなんで夜何しとんと言えばYouTubeという残念な話。ノベルゲームの類の動画見てたら一作品観終わるのにに80時間ぐらい掛かった。こんなこと、大学新4年生がしていいことじゃない、絶対。でも仕方ない。涙腺クラッシュしにかかるシナリオが悪い。

 

 あとサークルの職務引継ぎがようやっと始められるようになり、資料作成に久々にWordを弄ったが、何かと不便だなと改めて感じた。勿論TeXよりは作業量少なくて楽ではあるけど、色々と余計なことをしてくれすぎるのが困るのよね。レイアウト調整が面倒。頑張ってくれよMicrosoft

 

 とまあ私の無味な事情は置いておいて。前回の続きといきましょう。

 

 

 

 What's wrong

 出題編で書いた内容、どこがおかしかったのか。その答は、

 

  「項」「多項式」の概念である。

 

 実際に前回記事の部分部分の引用をしよう。

 

 ・「項 2(x+y)を計算すると……」

 ・「多項式 z=6÷2(x+y)において……」

 

 こんなことが平然と書いてあった。どうよこれ。よく見ると明らかにおかしい。今一度、項の定義を数Iの教科書でも引っ張り出して確認してほしい。こう書いてあるだろう。

 

 「数字や文字を掛け合わせてできる式を単項式といい、複数の単項式の和を多項式多項式の各単項式を多項式の項という」

 

 そう、すなわち項の中に演算として存在するのは乗算のみである。2(x+y)は項か?いや違う。2x+2yと分配すれば2x、2yはそれぞれ項であるといえる。しかしそれらを足してしまったものは項ではない。次のような式を考えよう。

 

 (x+1)(y-2)=xy-2x+y-2

 

 この式は当然成り立つ。左辺において項にあたるものは何かと聞かれたら、「そんなものはない」と答えるだろう。左辺は因数分解したものであり、(x+1)と(y-2)はそれぞれ因数とよばれる。対して左辺を展開した右辺の式は多項式であり、xy、-2x、y、-2はそれぞれ項である。

 

 さて、ここで当たり前のように乗算の省略を行っていることが分かるだろう。左辺では因数と因数の間の乗算が、右辺では各項の中の乗算が隠れている。ではこれらの式と「6÷2(1+2)」の違いは何か。

 

 

 中間置記法の弊害

 私達が演算といわれて真っ先に頭に浮かぶ四則演算(+,-,×,÷)は基本的に二つの数の間に表記される。こうした演算の表記法を中間置記法とよぶ。抑々演算は別に数の間に表記しなくても問題ない。というのも、例えば1+2を「+(1)(2)」などと表記することだって可能なのだ。実際にこのように演算を対象の間でなく前に置く前置記法、後ろに置く後置記法が存在し、コンピュータの計算理論構造に採用されていたりもする。そして何故採用されているかというと理由は至極簡単である。中間置記法が不完全だから、だ。

 

 演算を間に表記するということはつまり、演算の両側にある2つの対象が何かがはっきりしていなければならない。とある英文を一つ。

 

The girl touches the boy with the flower.

 

 この文をどう和訳するか。解答は2つ考えられる。このとき、"touches"を演算として考えると、演算の右側の対象がどこまで続いているかによって2通りの解釈が考えられてしまっていると気付く筈である。

 

 数式の演算は根本的に一種の論理構造をなすツールであり、他言語とも類似点をもつものである。特に数式上の演算と英語のbe動詞などは強く対応している。では数式と英文における重要な差異は何かというと、

 

 ・数式において解釈は一意でなければならない

 ・基本的な数式に用いられる演算の種類は相当に限られる

 ・演算の優先順序が決められている場合の解釈限定が存在する

 

といったところである。特に重要なのは当然解釈の一意性である。

 こういった注意事項がありながらも、私達は乗算の表記を省略することがあるのだ。これが如何にイレギュラーで、異常であるかが分かるだろう。そしてその異常が何の問題もなくまかり通る数学を皆様方は中学高校の数学で当たり前のように扱ってきた。

 

 

 思ったよりも”数学”は上手く出来ている

 そもそも乗算を省略する文化はいつから現れたか考えると、中学で「数と式」の分野を習い始めると同時に現れたということが分かる。そう、「項」「多項式」「因数分解」といった概念と同時に導入されたものであるということ。

 

 多項式で乗算が省略されるのは、できるのは何故?

 そもそも乗算でまとまる部分を項とする構成だから。

 

 因数分解された式で乗算が省略されるのは、できるのは何故?

 各因数の「括弧」によって、乗算の左右の対象の範囲が限定され、解に一意性が認められる構造になっているから。

 

 中学から、「数と式」から「÷」の記号が見られなくなったのは何故?

 乗算の省略表現を問題なく採用するために、「×」と同じ計算順序の優先度かつ可換性を持たないなどといった下位互換性のみられる「÷」演算を、逆数の乗算として表現せざるを得なかったから。

 

 

 「省略された掛け算は省略しない掛け算よりも優先順位が高い」といった意見がちらほらネット上で見られたりもしたが、そんな事実は存在しない。あくまでも、省略された箇所を先に計算していいような構成に”してもらっている”だけだ。

 「・」記号を掛け算の役割で使うことがある。「2・3=6」のように。これも同じ。多項式因数分解式の変数に数値を代入した際に、乗算を省略したままだと見た目上紛らわしいことが起こるので適当に記号を変えているだけで、優先順位は通常の乗算と同じである。何故「×」でなく「・」なのかは諸説あるだろうが、個人的には”頑張って省略にこぎつけた「×」記号を見た目の問題で変わらず使用しなければならなくなるのが癪だったのでは”と考えている。

 

 

 帰結

 結局、「6÷2(1+2)」の解は何かと言われると、なかなかに難しい。

 1と答えた人は恐らく乗算の省略を可能とする中学以降の数学の”上手く出来た”構成に無意識に順応し過ぎたが為に省略乗算を優先して計算してしまった。

 9と答えた人は、逆に乗算の省略について省略が問題なく可能な条件、それを適応した数学の構成に気付かずに通常の乗算と全く同一とみてしまった。

 すなわち記号の役割か取り巻く環境か、ミクロかマクロかのどちらに依った考え方をしたのかで1派か9派かに分かれるといった、ある種心理テストのようなものだといえるだろう。そして1でも9でもないのでは、そもそも何かが変ではと感じた人はそれらの乖離に感づいた人である。ただ辛辣なことを言えば、単に違和感を抱いただけで演算の妥当性とそれが認められている世界の数学を与えられていたことに気付かなければそれは不足である。かく言う私も最初は1しか思いつかなかった数学科の恥である。

 

 何にせよ、一つ数学の根幹と背景に迫る良い機会を得たことに感謝して、ここらで終いとします。明日はTOEICがあるのですが丸一ヶ月英語を見聞きしてないしもうどうでもいいので多分試験中寝ます。新横浜プリンス、寝心地良さそう()

 

 

6÷2(1+2)=?(出題編)

 

 2月も終盤、就活の二文字が頭からどっかいってしまっている問題。恐らく私は就活しないことになると思います。すなわち院進です。まあ現状の実力では受かりそうもないんだけど。3年間で勉強したこと全て忘れてるからね。おわた。

 

 

 そんなこんなで今週のTOEICとかもやる気全く出ず、代わりに数研一級を申し込んできました。院試よりは簡単だろうし、数学科が受からんかったらぶっちゃけ笑い者だと思うので真面目に挑む所存。てか高いね一級。TOEICより高い。ワンチャン教育実習関連の事前打ち合わせと日程被りそうで怖い。実れ俺の8000円。

 

 

 

 ところで今回はとある数学?の問題を一つ。

 

 先日、友人から唐突にタイトルの問題を出され、色々と疑心暗鬼になってしまった。実は10年前にFacebookで話題になったらしくwikiのページもある程の知名度だったのだが私は全く知らなかった。お恥ずかしい。

 

 で、この問題の答えは大きく1派と9派、そしてそもそも解答不能派に分かれている。各意見の根拠としては、

 

 1派:2(1+2)=6より、6÷2(1+2)=6÷6=1.

 9派:6÷2(1+2)=6÷2×(1+2)=3×(1+2)=9.

 解答不能派:解が上記の様に一意に定まらないから、抑々表記が悪い、etc.

 

みたいな感じ。

 

 聡い読者の方ならこの問題、幾つもの数学的表記の欠点というか曖昧性というかそういったものの積み重なった結果であることがお分かりだろう。考えれば考えるほど混乱するこの問題。という訳でどういった点に問題が潜んでいるかを考えたい。

 

 

 四則演算の順序

 一般に小学校で四則演算等の計算順序について「(括弧内の計算)>(乗法と除法)>(加法と減法)」の優先順位を適応すると習う。そしてミソなのがもう一つ。「同優先順位の演算においては左から右へ順に計算する」という鉄則である。

 難しい話をするとこれらの規則は「当然のもの」ではない。というのも、別にこれらの規則が数学における定義ではないのだ。詳しく述べると

 

自然数(ここでは数学基礎論自然数として0を含む)をペアノの公理によって定義する際に後者関数という関数が同時に定義され、その後者関数をもとに加法が定義でき、また加法の複数回試行として乗法を定義できる。そして代数学においてこの加法、乗法をもとに『体』という概念を定義すると、実際に実数上に加法と乗法がwell-definedであり実数が体としての条件を満たすことが分かる。そこで加法についての逆元の加算と乗法についての逆元の乗算をそれぞれ減法、除法と便宜的に設定すると、実数上で四則演算の優先順位が先述の通りに成り立つことが導かれる

 

となる。はい長かったですねすみません。ちなみに割と知られている「1+1=2の証明」問題は後者関数を用います。1+1=2自体は定義ではないので証明しようと思えばできるというやつです。

 

 そして上に記したように、実は減法と除法、即ち「-」と「÷」の概念は基本的に代数学において定義されません。結局負の数の加算や分数等の乗算に帰着できるからです。

 

 では話を戻して、「6÷2(1+2)」に関してこの演算順序に当てはめて考えたいのだが、ここで一つ問題が。

 

 

 掛け算の省略か、それとも

 問題なのは「2(1+2)」の部分。ここが分岐点。

 

 中学以降の数学において、乗算の「×」を省略する文化が現れる。いや厳密に言えば「操作としては乗算と同一の試行をとる省略表現が現れる」となるか。

 

 例えば「y=2x」は「変数yは変数xに2を掛けた値」を意味したり、「xyz」は「変数x,y,zの積の値」を意味するわけだ。

 

 つまり「6÷2(1+2)=6÷2×(1+2)」となるから、あとは四則演算の順序に従って、答は9である。はい解決。そう思いたいけど、なにか違和感。何かが違う。2xと2(1+2)で何がこうも違和感を、乖離感を生むのか。

 

 ここで気付くのが「変数」の登場である。そう、掛け算の省略表現は一般に変数が絡むところに現れる。2×3を23と表記することは無いだろう。これじゃロクなのかニジュウサンなのか分からない。じゃあ「2(1+2)」って……何なん?

 

 

 ※ここから注意

 

 

 「z=6÷2(x+y)」という式を考えよう。zはx,yからなる2変数関数f(x,y)とも表現できる。とにかくこの式に(x,y)=(1,2)を代入してみよう。するとどうなるか。項 2(x+y)を計算すると6になるので結局 z=6/6=1である。答は1ですね。

 

 

 やっぱり、おかしかったのは「2(1+2)」だ。この表記がいけない。掛け算を省略するのは変数が絡んでいないといけない。文字式になってないといけない。

 

 さらに言えば、多項式 z=6÷2(x+y)においては項 2(x+y)が先に計算されるのに、変数が絡まない「6÷2(1+2)」のバージョンじゃその性質が明確に成立しない。

 

 では結論。本問は表記法が掛け算の省略記号の扱いを間違えた悪問である。よって数学的に厳密性を担保されていない。解が一意に出る訳ない、それ以前の問題である。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあ、読者の皆様。どこかに”おかしかった”ところはありませんでしたか?

 

 

 

 

 

 次回、解答編。齟齬を炙り出せ。

 

 

おわり。

 

 2020年度秋学期全講義視聴&課題提出しました。終わったー。

 

 

 それと同時に鼻血が噴出して、危うく手書きのレポートが血塗れになりかけた。危ない危ない。そして鉄臭い。

 

 

 鼻血って結構侮ってはならない。チョコ食い過ぎたとか、血行良くし過ぎたとかなら分かるけど、そういうの全く関係なく唐突に出たときは相当身体が参ってるときだったりする。ちなみに最近生活リズムが2日周期になってたり辛いもの食べまくったりして心当たりしかない。自滅の刃。

 

 

 ところで2月から就活に切り替えていけるのかと非常に不安が募っておりますけれども。結局なるようになるしかないのかな人生、と思ってきてたり。目的もないまま就活するよりも、教育実習の準備を何か月もかけて完璧にして、そのまま教職まっしぐらで勝負する方がもしかしたら経験的にも効率的にもいいのかもしれない。昔からこれだと一つ決めて極めようとしてこなかったし、そういう生き方は多分苦手な方で適当にオールラウンダー気取ってる方が楽だった人生だけど、この先もそうとは限らないのかもね。結局何も分からない。Planned-Happenstance-Theoryですから。

 

 

 最近、自分に音楽の才がもっとあればComposerとして食っていけたかもしれないなあとか夢物語に浸ってしまうことが多い。J-POPとかは正直書く気ないけど。インストで、Artcoreとか書きたかった。Feryquitousさんみたいな、電子の海に漂う鋭さ儚さのような何かを感じられるような曲が作れたら良かったのに。

 

 

 愚痴は愚痴で覆われ、後悔の鎧を引き摺りながら、平衡感覚に猜疑して、数秒先も。

唐突

 

 某○-ソンで発売中の「激辛カレーパン」なるものを課題作成中に夜食として食べたのですが、やっぱりカレーの香辛料は大事だと思いました。

 

 

 なんかハバネロジョロキアと自家製の辛味ソースが使われているとかなんとか書いてあって、まあ冬だし辛党当方だし食べてみるかと買ったものの、いざ食すとやはりカレーにこういった唐辛子の類は合わんなと。18禁カレー「Danger」を思い出す。あれに比べたら全然マシだけど、私はとにかくジョロキアの風味が苦手です。同じ激辛唐辛子の類の中でも特に強いえぐみを感じるあの風味。ハバネロ程度だと料理に使われる分にはえぐみが薄れて、キャロライナリーパーぐらいまでいくと痛みが勝ってあんまり気にならないのだけれど、そこんところジョロキアは上手くいってないというかなんか。そしてカレーとの相性となるとやっぱり良くない。カレーって、インドだのタイだの日本風だの色々系統はあるけれど、どれも旨味やコクが肝要だと思うのです。様々な旨さがバランス良く内包されてるあの感じ。これが只々辛い唐辛子使って激辛カレー作っても実現されない。ラーメンとかは、正直それでもいいんですよ。でもカレーは駄目だと思う。持論。

 

 

 別に商品批判したい訳でもなく、単にジョロキア使わない方が激辛は美味しいと思っただけのブログでした。ちなみに一般人基準で考えると相当辛いです。辛いの苦手な人と胃腸が弱い人は買わないように。ペヤング獄激辛とかで感覚麻痺ってるけど、本来このレベルの辛さの商品がコンビニで売られているのが結構おかしいよね。時代が違えば訴訟もんだよこれ。人類は徐々にマゾヒズムに目覚めているのかもしれない。

 

 

p.s. カレーパンは三次元空間上の単連結な位相空間なので任意の元の一点集合とホモトピー同値である

決着

 

 先日、スマホ音ゲーで奮闘していたら急にイヤホンが断線しました。イヤホン持ちがそこまでよろしくない私にしては純正ケーブルで3年以上も生き永らえていたことに少々驚きです。ともかくイヤホンが無いと死ぬ人種なので即リケーブルを買いにそこそこ近場の電気屋に。本当なら秋葉原の専門店行くんですが、情勢の影響であそこらへんに行くのが憚られまして。なにかとやりずらい世の中になってしまいました。

 

 

 最近は大学の課題に手を付けることが億劫になってきて、割と余裕をもってこなしてた筈が結構ギリになりそうな雰囲気がしてきてます。課題は溜めても、講義動画は溜めない方がいいとつくづく実感しています。処理が面倒。そしてそれに伴ってか最近昼前に起きられなくなってきている。変に疲れている感じ。

 

 

 今日も昼過ぎに起きて、取り敢えずスマホ確認。なんかメール来とる。おおん。TOEICやん。

 

 

 というわけで今月受けた試験の結果が返ってきました。

 

 

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 ギリ700突破。

 

 

 卒業要件、達成。

 

 

 わあい。

 

 

 まあ正直回数重ねればどうにかなるやろと思ってたんで、そこまで嬉しいとかはないのですが、ひとまずホッとしました。なんかReading前より悪いけど。完全にListening Part3が1題3答形式であることを知ったことによる伸びですね。前回あれでテンパって死んだから。

 

 

 ということで大学卒業要件は一つクリアしました。一応書類申請しなきゃならんのですが、多分今回の試験の認定証が届くのが今年度申請期日の後だと思うので、申請は4年次春になるでしょう。忘れないようにせえへんと。

 

 

 そいで2月の試験も申し込んでしまっているのでそっちはそっちで普通に受けます。理想は就活に使えるスコアまで伸ばすことですが、果たして私は怠惰から抜け出せるのやら。まあその前に講義課題なんですけどね。ノシ

小休憩

 

 1月。大学生がレポートに追われる季節。

 

 春学期にやけに講義取っていた反動で秋は7コマしか講義が無く、おまけに早めの提出期限の講義などが重なったことで、かつてないほどに楽な状態。とはいえまだ2講義分レポートが残っているけど月末締切なのでなんとかなるやろ。講義動画1つも見てへんで30回分溜まっとるが。

 

 改めて春学期を思い出すとそれはそれは鬼畜の極みなラストスパートだった。一日でA4紙30枚超の板書取って死ぬ気で理解に励み、夢にまで数学に魘されることもあった。あの頃に比べたらよりまともな課題消化生活が出来ているではないか。素晴らしい。

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 

 何も素晴らしくない。

 

 

 そうなのだ。実のところ就活から逃げているだけなのだ。課題やって講義聞いてればインターンだのなんだのやろうとしなくてもタスクこなせてる感抱けるってそれだけの理由でゆっくりまったり数学してるだけなのだ。ゴミなのだ。屑なのだ。

 

 というか課題直前まで溜めてる時点で企業目線でいえば相当に「欲しくない」人材だよなあ。報連相と提出物の速さが社会人の格を決める。出来ない奴は頼りにされることなく段々と人間関係も疎遠になっていって、最後には孤独死だ。hage。

 

 

 志望動機が薄いとか、自己分析が足りんとか、そういうこと言ってる人でもさ、就活意識して行動してる人だったら抑々社会人になろうとしてることには変わりないわけで。働くことへの、社会参画への意欲は形として表れていると思うんです。私にとってはもうそれだけで尊敬するしきっとどこかしらから求められる人間なんだと思う。なあなあでインターン言っても無駄とか、そういう人が言ってる分にはその通りな部分もあるけど、それを言い訳に全く行動してない人間はもう最初から「社会にとって意味のない存在」ってこと。

 

 

 なんか病んでるみたいになってるけど、結局自業自得なのが救えないところだ。他を蹴落としてのさばろうとする傲慢さすら無ければ、何もかもを掴まず何もかもを放棄するようであれば、蓮池からは出られないことは自明。物語も始まらない。

 

 

 とかなんとか、書くのは簡単だ。出来もしないのに。

 

 

 

 

 

遂に来ました

 

 いやあ寒い。流石にマフラー解禁しました。指先が特に冷えるので手袋とか着けるべきなんですが、スマホの操作が出来なくなるのが嫌で諦めています。指紋認証だけはどうしようもないのだ。認証番号入力もあるけど謎に16桁というクソ長い番号にしてるので面倒臭い。ガラケーの頃は何も考えず手袋着けられたのになあ。懐古。

 

 

 本日はバイト行く前に、教職の関連で大学へ送る定額小為替を買いに郵便局へ向かった。といっても自宅から徒歩30秒である。この点色々と楽な立地なので割と感謝しているのだけれど。

 

 

 なんと、郵便局閉まってる。営業時間内のはずなのに。

 

 

 時短営業でもしてるのかなあと思ったが、そんな雰囲気でもないし、そもそも元から15時までの受付業務の時短なんてしないよなあなんて考えていたら、局員が2名こちらへやって来て、

 

 

 

「すみません、只今567の感染者が発生した疑いがございまして、消毒作業を行っている為全業務を中止しております」

 

 

 

 おぉん。

 

 

 まじか。

 

 

 

 いやあ来ました来ました、盛り上がってまいりました。できたてほやほやの567ちゃんがExactly近所で繁殖中でございます。

 

 なんて冗談は程々にして。

 

 

 

 同区でとか、最寄り駅の近くでとかは今までもあったけど、ここまで目の前で見つかってしまったのは流石にビビった。調べたらつい1時間前に職員が感染した旨の発表が。いやリアルタイムすぎんか。

 

 

 そんなこんなでちょっと離れた郵便局まで行って仕事は済ませたのですが、もう家から出るだけでそこは戦地状態になってしまいました。神奈川ももう千人だし、今後も気を付けていかなければなりませんね。

 

 

 

 というわけでバイト行ってきます。上には悪いけど、客が殆ど来ないことを祈る。